災難コロナがくれたもの

2021年2月22日 7:00 am

1年経ち、2年目・・・

当たり前が当たり前でなくなった

日々どこかに行ってたわけでもないのに「ダメ」と言われると不自由に感じる

 

嫌だった通勤や人との面倒なつながりさえも・・・

考えもしなかった自然破壊・・・

自分や家族の健康・・・

 

世の中が変わっていく・・・

Aiが猛スピードで発展していく、人不足から人余りに・・・

自由が不自由に

殺伐としたプライベート重視が、ぬくもりを求めている

ニュースを頻繁にみるようになった

 

緊急事態で多くの業種が苦しんでいる、生活困窮者や自殺、犯罪が溢れている、イライラしている

でも反対側は・・・

空気が少しだけきれいになった

温暖化が少しだけ穏やかになった

仕事があることに感謝した

関りを持ってくれている家族・仲間・友人に感謝・・・

 

他人事だった

当事者でなかった

真剣さが足りなかった

 

便利を求めすぎた故の自然からの罰だと私は想う

自然のリズム、陰陽のバランスは壊しちゃいけない

 

 

お天気さえも「晴れ」「雨」「くもり」「雪」・・・なくちゃ困る

男女「男性」「女性」のバランスが壊れたら困る

老若「子供」「若者」「ミドル」「シニア」それぞれの世代のバランスがないと困る

 

ちょっとだけじゃもはや真剣に考えないのかもしれない

世界的猛威、ウィルス、天災・・・

やっと今、少しだけ「自分のやれること」をはじめたのかもしれない

けれど、これが「戦争」なら、もっと奪われている

色々諦めたのは事実だけれど、まだまだ贅沢

 

朝起きて、胸いっぱいのおいしい空気が吸える

会社に行き、仕事をし、やりがいを積み重ね

食事をし、お風呂に入り、ふとんで寝る

 

江戸・明治・大正・昭和・平成・令和・・・

少し前まで何もなかった

急速に発展した

贅沢になったら、やさしさや思いやりを忘れた

シンプルこそ本当は大切じゃないのかな

 

生きるって「不自由なこと」それが当たり前

身の回りの贅沢を本気で断捨離したとしたら・・・

 

たとえば・・・

せめてルンバをやめて、掃除機に

乾燥器をやめて、干して

少しだけ贅沢すぎたものをやめたら、「電気が足りない」そんなことも起きない

 

 

私たちは「満足」という感覚を忘れている

食べれて、働けて、寝れて・・・家族が元気で

本当はそれでいい