セラピストは魂の癒し人

「生きる」って何だろう??? そう問い続けけて来た。
40の時は、私の人生の「過去・現在・未来」を整理して、今までの苦労は「不苦労」で幸せな経験だったと腑に落ちた。
自分のための時間を終わりにして、「人のために生きる」とコミットした。
そして50「智慧を分かつ時」と決めて「集大成」を意識するように・・・
単に「健康とは?」
WHOに習い、「精神的・肉体的・経済的に・・・」
精神的・肉体的はサロンが担い、経済的にをスクールが担う・・・そんに漠然とした想い
前進するために腹をくくる、それは資金への覚悟なのか?
リーマンショックで感じて、独立を決意した
コロナを目の前に「自然界の怒りと悲しみ」を感じた。
祖父に言われ続けた教え「慎ましやかに、おごることなかれ、感謝の心を持ち、財を分かち、人のために生きよ」
なぜか数年、そんな想いがそばにあった。
迷いが生じる明治神宮」に行くようになった。といより呼ばれている。
木々が、葉のこすりあう音、若緑のやすらぎ、清らかな水、頬を撫でる風・・・自然に身を戻す大切なとき
「生きる」
それは魂の修行・・・いつしかそう感じるようになった。
人生は「魂を磨く一生を通しての鍛錬」
魂を磨き、魂を清め精進する度。
人は時々「魂が傷つく」それらを癒し、明日への1歩を踏み出すエネルギーへと清め、いたわるのが私の選択した天職。使命。
そのために多くの経験を積んできたように感じるこの頃。
まだまだ足りない。もっともっと時間が必要・・・
救うべき魂との出会いこそが「セラピスト」だと私は思う。
手の温もり
手が感じる人の痛み
手が施すいたわり
手が届ける明日への力
手の輝が包む魂の休息
本物のセラピストを育てたい
共に走り、共に生き、人々の幸せ「生きる力を支えるセラピスト」を育てたい