3社がくれたチャンス!!

私は「命」に興味を持ち、最初の選択は「バイオテクノロジー=生命工学技術」でした。
マウスを使った遺伝子組み換えなんかを勉強していました。
最初の就職は「花王」でした。
最初の結婚をしまして、最初の流産をし、最初の離婚を経験し・・・怒涛の1年でした。
一生懸命でしたが、23歳までは本当に迷子でした。
何をしたいわけでもなく、働かなきゃということだけでした。
給与だけで選んだ仕事は長続きせず転職の日々。
でも時代はあの「バブル時代」大して仕事ができなくても稼げていた時代でした。
【ターニングポイント 自分の人生観を変えた会社】
23歳の時、健康食品と化粧品の製造販売の会社で営業インストラクターとなったのが、人生最大のターニングポイントでした♡
面接の時「弊社は潰れませんから、落ち着いてまず1年は勤務しなさい」と副社長に言われ、ひとまず1年頑張りました。
本当に年経って退職届を出したら、所属長に怒られました。(笑)
そして、私は最初の心理学に触れます。
この会社は女性が活躍する訪問販売の会社。会社を支える代理店幹部の研修アシスタントを担当させて頂いた数年間は私の人生の宝です。
今でいう「リーダー研修」ですが、メンタル研修です。
自分をさらけ出し、自分の潜在意識を顕在化し、本気で関わることの大切さを体験学習する缶詰研修。
今思えば、魔の研修ですけどね(笑)
多くの男女。日々は怖そうな人たちが人生をさらけ出す。
この研修でアシスタントの発言は許されないのですが、一人一人の人生、越えようともがく姿、人生の目標が決まった卒業の瞬間。
涙が止まらず・・・凝り固まった心が解けていく・・・
「私のような壮絶な人生を擱くったヤツはいない。一緒にされたくない」そんな傲慢さ。
間違っていた
もっと辛くても、笑って歩いている人がこんなにもいる。
人を信じれなかった。人と関わりたくなかった。関わって欲しくなかった。
人のやさしさを受け入れられる、愛を信じられる、必要としてくれる歓び
はじめて生きたい。誰かのために走りたいと思った出会い。
今でもおつきあいが続いています。私のふるさとです!!
【稼ぐ厳しさ、今の基礎を学ばせてくれた会社】
健康を全体で考えるようになり、私は30でエステの世界に転職。
それでもエステティシャンではなく、店長候補としてカウンセラーになった。
ところが前社の温かい春のひだまりのような社風から一転。そこは戦場!! 怖かった~
いわゆる高級エステですから、当然お客様も一流。当然スタッフにも一流が求められるのは、今思えば当然。
ここで一番最初に叩き込まれたのは「数字への責任」
今は通用しないが、「休むと言っていない、休める仕事をしろ!!」と言われた店長時代。
売上目標は、掲げるためにあるのではなく、達成するためにある。それが皆の生活を支えるのに必要な損益だから!!
「三者繁栄の法則=権利・義務・責任」
今は全てハラスメントにくくられるのかもしれない。でもそうだろうか? 越えられない壁をハラスメントに混ぜていないのか?
権利だけを主張して、義務と責任はどこいった??? 学校じゃない、会社なんですけど~と今はわかる。
この会社は100店を全国に誇り、独立採算制をとっている。
個々での年は、他社の5年と言われ、退職後は転職しても他社の幹部になる人多いほどスキルは確実にあがる。けれど辛い!!
この頃は数字が行かず19勤なんてこともあった。今じゃ許されませんが、この経験があって今も越えられている。
最も学ばして頂いたのはマネージメント。
人事もそうだが、資産・費用対効果、稼働、客単価、入会率・・・サロン経営に必要な視点を徹底的に叩き込まれたこと。
そして私は教育部に上がり、カウンセラーや幹部を指導するスキルを身につけた。
一度途中で退職したが、当時の社長のオファーで出戻った時は、営業管理部や経営企画室等に所属して、企画やリスクヘッジに関われたことも
また財となった。
「実践のチャンス、失う悔しさを教えてくれた会社」
台風のような濃密な数年を過ごしたが、私は人材バンクからの紹介で「若年型のエステ会社」に転職した。
この会社にしたのは、「前の会社と同じ100店ありながら、売上が半分」不思議だった!!
何で半分???
最初はスクール事業の立ち上げ責任者として入社したが、出社早々渡されたのは「電話帳」
責任者・・・聞こえは良い、給与もそこそこ良い。けれど電話帳
生徒集めのための電話がけが言い渡された・・・本気で嫌だった!!(涙)
すぐ合わないと思い、辞めようと思ったがひょんなことから留まり、どうせ嫌なことならさっさとやろうと決意。
前任が1年でできたのは1名の確保と社会人クラス2名。
ひとまず1年制6名を確保し、社会人クラスをつくり、ネイルスクールを兼務し、赤字改善をきっかけに校長昇格。
そんな時、エステ本体の幹部研修を社長に依頼された。正直嫌だった。女の世界は怖い。反発心の中でやるのは辛い。
何度も断り続けた数回目、いよいよ上市から命令がおりた。仕方なく承諾して行ったセミナーの昼には営業部長に昇格した。
あり得ない昇格は、入社1年後のこと。
やがて社長にスクール拡大を命じられる。名古屋校をつくり、たった48万の年間売上のスクールはすでに1億を目前にしていた。
あとで聞いた話だが、当時の社長は担当取締役に「飯間に5億預ける」と言ってくれていたそうです。
独立して肩書は「社長」ですが、やはりサラリーマンの動かせる事業規模の大きさは、今も魅力的。
20~39まで約20年は、私の経験を積む大事な時間でした。
当時嫌だと思っていたことも時間が経つと、どれもなくてはならない経験。
教育者としての私は、いつも「やさしさは罪」ということを言い続けているのもこの学びから!!
パワハラが叫ばれる中で、褒める、やらせない、仕方ないねというのは簡単なこと。
でも、言い換えれば「人の可能性にピリオドを打つ瞬間」と私は捉えている。
私も年を重ね、だいぶ心身共に丸~くなったが、日々厳しい、その言い方・・・と言われる。
給与は欲しい。けれど売上責任はとらない。どういうこと? 逆セクハラ?
会社も、国も弱体化する。
暴言や暴力はしてはいけない。けれど指導とごちゃまぜにすれば誰が人間を教育するのか?
上司の方が顔色を見る。
使いやすいひとだけに仕事が集まることでの不公平感
耐えられなければ、すぐやめる。 仕事だけでなく、結婚も子育てまでも・・・
考える習慣がなくなり、言われなかった、教えてもらってない・・・
人生は自分のもの
人生は選択の連続
生きる術、高峰に昇るということは、自ら考え行動できたからご褒美じゃないかなぁ!!
誰かが連れてってもくれない。
誰かが与えるものでもない。
少なくとも私の人生は
きついことも多いけど、すべては血と肉になっている。
経験のチャンスは全て拾ってみると本当は全て財になるのだけれど・・・
私のサロンで働くことは決して楽でないかもしれない。
けれど、乗り越えた者の人生は絶対に変えられる。
人に必要とされ、人に頼られ、収入が増え、やりたい夢を実現できる。
貴女はどんな未来を描いていますか?